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今こそ話そう。フジボウで過ごした日々、これからの事。

富士紡ホールディングス株式会社 取締役会長兼社長 昭和48年4月入社
中野 光雄 Mitsuo Nakano最終学歴:工学部 繊維工学科 卒業
趣味:尺八

  • 紡績では食えない、それを言っちゃいけない時代。

    私がフジボウに入社したのは昭和48年(1973年)のこと。当時は紡績が全盛の時代で、紡績にあらずんば人にあらずと言わんばかりに紡績部隊が幅をきかせていました。しかし、数年もしないうちに紡績では利益が上がらない時代になった。フジボウだけでなく、紡績会社はどこも赤字に苦しんでいたんです。

    当然、会社の変革をしなければならないのですが、歴史・伝統を旗印にする面々はどうしても規模の大きさを重視してしまい、売上げさえ大きければ良く、その事業が利益を生んでいるのか生んでいないのかということを考えなかった。どんなに規模が大きくても赤字だったら意味がない。今では誰でも分かることが分からない。いや、メンツが邪魔して分かりたくなかっただけかもしれない。「もう紡績では食えない」なんてことを言おうものなら、「ふざけるな生意気な奴め!」って叩かれる、そんな風潮が会社を支配していました。

  • 悔しい。でも辞めてたまるか!

    私は入社10年後には、会社を立て直すという名目の新規事業である大分の化成品事業の部隊にとばされました。部隊と言っても総勢6人の大きさで、紡績の100名規模の部隊に比べるとほんとうに寂しい。正直悔しかった。たった6人の部隊なので、営業、経理、技術など何でも自分でやらなきゃならない。おまけに化成品の知識は無いに等しい。普通なら辞めてしまっても不思議じゃない状況だったけれど、辞めてたまるか!かならずフジボウを良い会社にしてやる!という意地にも似た気持ちで頑張った。

    でも、今から思えば、そのとき色々な役職を兼務し、がむしゃらに働いたことで会社経営のいろはが解ったんじゃないかと思います。次いで研磨材事業の立ち上げにかかわることになり、冷や飯ばかり食ってるような感じでした。でも、化成品事業も、研磨材事業も規模こそ小さいけれど黒字を出せる事業に育った。平成18年、私が社長になってから不採算部門は徹底して清算していきました。見た目はどんどん規模が小さくなっていき、衰退しているように見えるかもしれないけれど、無駄な部分をそぎ落とし筋肉質な会社に作りかえていたんです。そして、平成20年、フジボウは株主へ配当を出すまでに経営状況が改善したのです。

  • 未来永劫続く成功はない。

    それからは右肩上がりで今日に至ります。でも、今の状況を喜んでばかりはいられない。今、十分な利益を出している研磨材事業や化学工業品事業が、10年後20年後も利益を出せる保証はどこにもない。一周回って繊維事業が儲かるなんてこともないとは言えない。全ての事業が全く駄目な可能性もある。そんな時に、ああ、駄目だったねでは済まない。

    常に備えよ。今から新規の事業を多数立ち上げ次世代に利益を生むことができるように育てる必要があるんです。かつての私がそうだったように、今利益を上げている社員がいつかはまったく経験したことのない事業に従事せざるを得ない日が来る。必ず来ると言ってもいい。30年も40年も安定して続く事業なんてないんです。これから社会に出る人達は、そんな未来を生き抜かなきゃならない。でも安心してほしい。苦境に陥ったときにみなさんを守るのは冒険心と忍耐力です。これを身につけておけば、数年後、再び笑って過ごせる日々がやってきます。みなさんの冒険心と忍耐力に期待します。

Message

君の冒険心と忍耐力に期待。

学生時代にしておくべきこと。

学生の特権は、やりたいことを選択できること。ひとたび仕事に就くと、食うために仕事を優先せざるをえない。だから、学生のみなさんには、学生時代にこそ好きなことを徹底的に研究してほしいと思います。文学でも音楽でもなんでもいい。そういった趣味の知識が、案外社会人になって他人とコミュニケーションをとる時の武器になったりする。時間を有意義に使って個性あふれる魅力的な人間になってください。

あなたの決断を期待します。

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